2007年11月2日(金)
ロンドン超短期留学13日目。
2週間の短期留学は、
あっという間に過ぎ去ってしまった。
イギリスでも日本でも同じ
コロンビア人の
2人と、少しだけ仲良くなっていた。
わたしが、カフェで食事をしていた時、
2人が近寄ってきて、
「You’re nice」
と話しかけてくれた。
週末に学校主催のイベントがあった。
2人に誘われたが、断って、
断った理由は、
と不安だったこともあり、
「う~ん」と言いながら断ったのだった。
基本的に1人でいることが好きなわたしは、
結局、
なのだった・・・。

今振り返ってみると、コミュニケーションよりも観光が目的だった。
どうして、2週間なの?
とも、お話をした。
彼は、自分の息子を海外留学させたあと、
自分も留学に来たのだそうだ。
イギリスへ来た最初の頃、こう聞かれた。
普通、海外へ留学する場合、
わたしも、2週間経ってから、
もう少し長くいたいと思ってしまった。

ようやく慣れてきて、クラスメイトとも仲良くなれそうなところだった。
わたしは、「money」ということを伝えた。
2週間の短期留学で、費用は約30万円だった。
自腹では、これが限界だったし、
仕事も2週間休んで来ていた。
最終日に記念写真
先生が授業の最後に、
ということを伝えた。
わたしの他にもう1人いた。
しかし、
なぜなら、
しか持っていなかったのだ!
2週間の滞在で、
使い捨てカメラのほとんどを撮り切っていた。

あと1枚だけ残っていた!
でも、みんなデジカメだった。
デジカメを買うお金を節約してまで、
2週間のロンドン留学を強行していた。
それだけだった。
一期一会の意味を知る
60代のチリ人男性が、
「住所を教えてくれたら、送るよ。」
と言ってくれたので、紙に書いて渡した。

でも、その写真が届くことはなかった・・・。
を、初めて知った。
留学が終われば、
お互いの時間軸はどんどん離れていき、
もう2度と会うことはないのである。
メアリーとお別れ
2007年11月3日(土)
ロンドン超短期留学14日目。
メアリーに、
ウェストミンスター寺院で購入した
キャンドルをプレゼントした。
荷物を詰め込み、忘れ物がないか確認して、
玄関の前でお別れをした。
スーツケースと階段
ステイ先の「ケンサル・グリーン」駅から、
途中の駅で「ピカデリー・ライン」へ乗り換えた。
その途中の駅で、

どうしようか困っていると、声をかけられた。
異国の地で、みんな目標を持って、
頑張っているんだなという気持ちになった。

「ピカデリー・ライン」に乗って、ヒースロー空港に無事到着!
ロンドンの街に花火
空港で、お土産のお菓子を購入。
を受け、
搭乗時刻までロビーで休むことにした。
その日、
ロンドンはお祝いムードだった。

街からたくさんの花火が上がるのを、飛行機の中から見た。
ロンドン市内からどんどん離れていき、
あっという間に、暗闇の中へと消えていった。
水平線から日の出を見る
国際線の飛行機の中では、
ということが分かり、楽しむことにした!
2007年に公開された、
ディズニー・ピクサーの映画
「レミーのおいしいレストラン」を鑑賞した。

とても楽しくて、旅の疲れが癒されたことを思い出す。
日本が近づいてくると、
だんだん空が明るくなってきた。
東から太陽が昇るという説が、
紛れもなく事実であることが分かった。
浦島太郎の気持ち
約12時間の空の旅が終わり、
何事もなかったかのように日本に着いた。
イギリスだったら、
2007年11月4日(日)の朝7時だ。
ふと、浦島太郎の話を思い出した。

浦島太郎も、外国行ってたのかなぁ
京急線へと乗り込んだ。
日本って便利だなぁ
日本の電車の中の広さに感動した。
だけど、便利になった分、
人々のコミュニケーションは失われていた。
お金による便利さを体現している国。

これが、資本主義の国なんだ!
ということが分かった気がした。
あとがき:2週間のロンドン留学を終えて
14年ぶりに、
を読み返してみると、
当時の記憶がよみがえってきて、
懐かしくなりました!
異国の人々と交流してみたり、
世界遺産を巡ってみたり。
人見知りで行動力のないわたしは、
どこに行っても結局、わたしのままなのでした。
でも、言葉の通じない外国人になることで、
好奇心のままに、
少しだけ自由に行動することができたのでした。
人生、思いっきりも大切なんだなと感じました。
今度は、ヨーロッパを列車で旅してみたいなぁ。